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== 生涯 ==
== 生涯 ==
[[栃木県]][[上都賀郡]]日光町(のちの[[日光市]])に生まれる。祖先は[[会津藩]]の家老であり、親戚には[[飯盛山 (福島県)|飯盛山]]で[[自刃]]した[[白虎隊]]の井深茂太郎や[[学校法人明治学院|明治学院]]総理を歴任した[[井深梶之助]]、[[ハンセン病]]に一生を捧げカトリック看護師協会の会長を歴任した[[井深八重]]がいる<ref group="注釈">井深家は旧[[会津藩]]士の家柄で、祖父基は[[朱雀隊]]の生き残り、白虎隊士の石山虎之助は基の実弟。当時は愛知県に居住していた。井深家については[[井深宅右衛門#井深家]]を参照。</ref>。2歳の時、青銅技師で水力発電所建設技師であった父、甫の死去に伴い、[[愛知県]][[安城市]]に住む祖父のもとに引き取られる<ref>井深亮『父井深大』([[ごま書房新社VM|ごま書房]])</ref>。
[[栃木県]][[上都賀郡]]日光町(のちの[[日光市]])に生まれる。祖先は[[会津藩]]の家老であり、親戚には[[飯盛山 (福島県)|飯盛山]]で[[自刃]]した[[白虎隊]]の井深茂太郎や[[学校法人明治学院|明治学院]]総理を歴任した[[井深梶之助]]、[[ハンセン病]]に一生を捧げカトリック看護師協会の会長を歴任した[[井深八重]]がいる<ref group="注釈">井深家は旧[[会津藩]]士の家柄で、祖父基は[[朱雀隊]]の生き残り、白虎隊士の石山虎之助は基の実弟。当時は愛知県に居住していた。井深家については[[井深宅右衛門#井深家]]を参照。</ref>。2歳の時、青銅技師で水力発電所建設技師であった父、甫の死去に伴い、[[愛知県]][[安城市]]に住む祖父のもとに引き取られる<ref name="自動生成1">井深亮『父井深大』([[ごま書房新社VM|ごま書房]])</ref>。


母と共に5歳から8歳まで東京に転居、その後は再び愛知県へ戻り、安城第一尋常小学校(現在の[[安城市立安城中部小学校]])卒業。のちに再婚した母に従い、母の嫁ぎ先の[[神戸市]][[葺合区]](現在の[[中央区 (神戸市)|中央区]])に転居。兵庫県立第一神戸中学校(のちの[[兵庫県立神戸高等学校]])、[[早稲田大学高等学院・中学部|第一早稲田高等学院]]、[[早稲田大学理工学部]]卒業。学生時代から奇抜な発明で有名であった。早稲田大学時代にキリスト教徒の恩師[[山本忠興]]の影響で[[日本基督教会]](のちの[[日本基督教団]])[[富士見町教会]]に通うようになり、[[洗礼]]を受けてキリスト教徒になる<ref>[http://ktymtskz.my.coocan.jp/denki4/ibuka4.htm 夢を実らせた空想科学少年――ソニーを築いた井深大(まさる)]</ref>。卒業論文は「変調器としてのケルセル 附光線電話」。
母と共に5歳から8歳まで東京に転居、その後は再び愛知県へ戻り、安城第一尋常小学校(現在の[[安城市立安城中部小学校]])卒業。のちに再婚した母に従い、母の嫁ぎ先の[[神戸市]][[葺合区]](現在の[[中央区 (神戸市)|中央区]])に転居。兵庫県立第一神戸中学校(のちの[[兵庫県立神戸高等学校]])、[[早稲田大学高等学院・中学部|第一早稲田高等学院]]、[[早稲田大学理工学部]]卒業。学生時代から奇抜な発明で有名であった。早稲田大学時代にキリスト教徒の恩師[[山本忠興]]の影響で[[日本基督教会]](のちの[[日本基督教団]])[[富士見町教会]]に通うようになり、[[洗礼]]を受けてキリスト教徒になる<ref>[http://ktymtskz.my.coocan.jp/denki4/ibuka4.htm 夢を実らせた空想科学少年――ソニーを築いた井深大(まさる)]</ref>。卒業論文は「変調器としてのケルセル 附光線電話」。
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: 教育活動に熱心にとりくみ、[[1969年]](昭和44年)に幼児開発協会<ref group="注釈">2001年に「幼児開発センター」と改称、2006年3月に業務が収束した。しかし、幼児開発センターで開発された[[幼児教育]]のスキルは、いまなお、スタッフに受け継がれている。</ref>、[[1972年]](昭和47年)にソニー教育振興財団を設立し理事長に就任。また、[[1985年]](昭和60年)には[[ボーイスカウト日本連盟]]理事長にも就任している。教育の持論は「この人の能力はこれだけだと決め付けていたらその人の能力は引き出せません。」だった。
: 教育活動に熱心にとりくみ、[[1969年]](昭和44年)に幼児開発協会<ref group="注釈">2001年に「幼児開発センター」と改称、2006年3月に業務が収束した。しかし、幼児開発センターで開発された[[幼児教育]]のスキルは、いまなお、スタッフに受け継がれている。</ref>、[[1972年]](昭和47年)にソニー教育振興財団を設立し理事長に就任。また、[[1985年]](昭和60年)には[[ボーイスカウト日本連盟]]理事長にも就任している。教育の持論は「この人の能力はこれだけだと決め付けていたらその人の能力は引き出せません。」だった。
; 社会福祉
; 社会福祉
: 一方で、井深の次女に知的障害があったことはあまり知られていない<ref>井深亮『父井深大』([[ごま書房新社VM|ごま書房]])</ref>。しかし次女との関係を通じて、障害者が自立出来る社会を経営者の立場から考えていた。それがきっかけとなり、1978年に大分県に身体障害者が働ける工場『サンインダストリー』(後のソニー・太陽)が建設された。また、生産施設を備えた社会福祉法人「希望の家」(栃木県鹿沼市)への支援も行った。
: 一方で、井深の次女に知的障害があったことはあまり知られていない<ref name="自動生成1" />。しかし次女との関係を通じて、障害者が自立出来る社会を経営者の立場から考えていた。それがきっかけとなり、1978年に大分県に身体障害者が働ける工場『サンインダストリー』(後のソニー・太陽)が建設された。また、生産施設を備えた社会福祉法人「希望の家」(栃木県鹿沼市)への支援も行った。


== 主な著作 ==
== 主な著作 ==
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== 栄典 ==
== 栄典 ==
*1986年(昭和61年)- [[勲一等旭日大綬章]]
*1986年(昭和61年)- [[勲一等旭日大綬章]]
*1992年(平成4年)- <!--産業人として初の-->[[文化勲章]](評価された分野は「電子技術」)<ref>{{Cite web|url=http://www.sony-ef.or.jp/sef/about/profile.html|title=基本情報 {{!}} 財団について {{!}} 公益財団法人 ソニー教育財団|accessdate=2018-11-26|website=www.sony-ef.or.jp|language=ja}}</ref>
*1992年(平成4年)- <!--産業人として初の-->[[文化勲章]](評価された分野は「電子技術」)<ref name="自動生成2">{{Cite web|url=http://www.sony-ef.or.jp/sef/about/profile.html|title=基本情報 {{!}} 財団について {{!}} 公益財団法人 ソニー教育財団|accessdate=2018-11-26|website=www.sony-ef.or.jp|language=ja}}</ref>
*1997年(平成9年)- 贈[[位階|正三位]]、贈[[勲一等旭日桐花大綬章]](没後叙位叙勲)<ref>{{Cite web|url=http://www.sony-ef.or.jp/sef/about/profile.html|title=基本情報 {{!}} 財団について {{!}} 公益財団法人 ソニー教育財団|accessdate=2018-11-26|website=www.sony-ef.or.jp|language=ja}}</ref>
*1997年(平成9年)- 贈[[位階|正三位]]、贈[[勲一等旭日桐花大綬章]](没後叙位叙勲)<ref name="自動生成2" />


== 参考文献 ==
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== 脚注 ==
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
=== 注釈 ===
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